2011年から紛争状態にあるシリア(シリア・アラブ共和国)は今世紀最悪の人道危機と称されているのと同時に、夥しい人権蹂躙も多数報告されている。そして、この危機状況とジェノサイドの結びつきについて指摘する声がシリア国内外から上がっている。2016年12月13日に政権軍と同盟組織に完全包囲をされ、圧倒的な武力攻撃に陥落したアレッポ(Aleppo)東部からは、血に塗れた市民と破壊され尽くした建物の写真と共に “ #HolocaustAleppo(#ホロコーストアレッポ)”というハッシュタグがソーシャルメディアを駆けめぐった 。この包囲攻撃を受けた現地からは「私たちはジェノサイドの中を生きています」と国際社会に対して救済を求める声も聞かれた 。紛争地における取材を何十年にもわたり続けてきた、著名なジャーナリストであるジャニーン・ディ・ジョバンニ(Janine di Giovanni)は、紛争下のシリアでの取材経験をもとに「ルワンダ、スレブレニツァと言うように、ジェノサイドは人口を壊滅させる意図である……私はこれ(シリアの現状)をジェノサイドだと考える」と述べた 。
このようにジェノサイドとの結びつきが指摘される中、シリアで起こる暴力の中で最もジェノサイドとして検討されるべきは、バッシャール・アル・アサド(Bashar al-Assad)政権が行う、市民の恣意的拘束、並びに、拘束した市民に対する「大規模かつ組織的な暴力行為」であると考えられる。シリア紛争下で調査を行うシリア国連調査委員会(UN Commission of Inquiry; CoI Syria)は、シリアでの拘禁者に対する扱いは「殲滅(extermination)」に等しいと報告している 。
シリアにおけるこの異常以外の何ものでもない人権侵害状況に対する学術的問題意識と共に3年間の研究調査と起草の後、私はようやく東京大学からジェノサイド研究を専攻する修士号を取得した。 184ページにおよぶ修士論文、「広義のジェノサイドの発現を巡る一考察―シリア革命における民衆に対する殲滅行為を事例に―」は、“自由”、“正義”、“尊厳”を今日も信じるすべてのシリア人へ捧げられる。
今日、私はシリア政府による拷問システムとそのメカニズムのいわゆる「専門家」になった訳だが、これは私の人生で最も幸せであり、最も悲しい瞬間だと言える。 このおぞましい研究分野で3年間の調査を行なった私の心境を、少しだけここに記したいと思う。この3年間が私に与えたのは、極限を超えた痛みと悲しみ、そして、限りない希望と尊厳である。
この研究に取り組むことは、私自身の想像を上回る苦痛が伴った。ビジュアル資料を用いた収容所の環境調査は当然ながら、トラウマを抱える人々への聞き取り調査も困難を極めた。しかし最も苦しいのは、この論文をまとめ上げる間にも、この記事を執筆する間にも、そして貴方がこれを読む間にも、世界から完全に切り離された圧倒的な殲滅空間–秘密収容所の中で、身も心も引き裂く痛みと共に死にゆく人々が確実にいるという事実であった。
それでも、この一連の破壊行為の行為主体であるバッシャール政権がこの破壊行為を否定し、犠牲者を闇に葬り去る中、そこで何が起きていたのかを克明に記録し、いかなる状況で破壊行為が発現したのかを明らかにすることには、少なからず意義があると信じている。負の歴史の真実を解明し、悪夢を繰り返さないことを究極の目的とするジェノサイド研究の射程からシリアの破壊行為を分析したことは必然的であったとも感じている。
本論文を終わるにあたり私が最も伝えたかったことは、この破壊の犠牲者がただの数字ではなく、何かのデータでもなく、彼ら一人ひとりに名前と顔があり、素晴らしい夢があり、愛する家族がいた紛れもない「人間」であったこと、そして、彼らが「自由」、「正義」、「尊厳」という権利と呼称するまでもない私たちが生まれながらにして約束された「人間らしさ」を求め続けていたという事実である。
政権が隠そうとする残虐行為の証拠から、私は人間の醜悪さと弱さを学んだ。幾度とないサバイバーと遺族へのインタビューを通して、私は人間の美しさと強さを学んだ。だからこそ、私は研究としてシリアで起きた殲滅行為を解明するだけではなく、絶望的な状況の中でも生きることを諦めず、祖国の未来のために命を燃やした人びとの生きた証を記述することに執着したのだろう。革命に参加した者の声をそのまま論文に落とし込んだ私のスタイルは、恐らく私の研究者としての「中立性」が疑問視される所以となった。しかし私は決して後悔していない。そもそも学術的中立性というものは時代遅れにして根本的に誤った概念である。被害者と加害者どちらの声も拾い、どちらにも非があると結論づける「中立な研究者」は、自然と戦争犯罪や甚大な人権侵害を擁護する。しかし、本来研究者に求められるのは現実を「公正」に捉え分析し追究することであろう。私はこの研究で限りなく公正に、そして真摯に虐げられた民衆の声を追い求めたまでである。それが偏向しているというのであれば、私はこれを喜んで受け入れる。何故なら、私は正しい研究者である以前に、正しい人間で在りたいからだ。それが、何よりも大切なことである。私にそう気づかせたのもまた、サバイバーや犠牲者との対話である。
今振り返るとこの論文を執筆することは、現実を見つめ前に進む作業であったように思う。2015年から、シリアの市民を支援する活動を手探りで開始し、2017年4月にはStand with Syria Japanを設立、2019年5月にはNPO法人格を取得し支援活動が拡大した。少なからず手応えを感じる局面はあった。しかし、結局のところ私はきっと誰の命をも救うことはできていないのだ。
私が、支援活動に幻想的な手応えを感じている間、そして何気ない日々を過ごしている間、シリアでは私と同世代の若者の尊い命が最も恐ろしい形で奪われていたのである。だからこそ、この論文を書くことが自分なりの罪滅ぼしでもあった。
この論文の執筆によって現在拘禁されるシリア人が解放されるとも、急速にシリアの現状を変えられるとも、残念ながら思えない。しかし、この論文を読む者が、僅かながらでも犠牲者の怒りと苦痛とその叫びを感じ取り、自由のために全てを捧げた勇敢な人びとの命と歴史の証人となってくれるのならば、私は私のこれまでの人生で最も意義のあることが行えたと言えるのだろう。
この論文と学位を、私はシリアの収容所で想像を凌駕する苦しみと恐怖の果てに、人知れずこの世を去らなければならなかった命に、そして今日も不当に血と暗闇の中に拘束され人として生きることが許されないシリアの人びとに、愛と哀悼と共に捧げる。